小学1年生の時に両親に連れられて無理やり始めた空手。
まさか、この年になっても続けているとは思ってもいませんでした。
今回は朝鮮代表として活動した過去10年間を振り返っていきます!
是非最後まで見てね💛
はじめての国際大会
はじめての国際大会はすごく緊張しましたが、国を背負って舞台に上がれる嬉しさで胸がいっぱいでした。
当時は三位決定戦で香港に勝ち、銅メダルを獲得できました。
あの時の興奮、嬉しさは今でも忘れられないです!
朝鮮大学に入学後、2015年に横浜で開催された「第13回アジア空手道選手権大会」では、ベスト8になることができ、その時の嬉しさもやはり忘れられないですね。
空手人生の転機
僕の空手人生において大きな転機となったのは大学3年生の時です。
なんと2020年の東京オリンピックに空手道が正式種目として採用されたのです。
世界の注目を浴びるオリンピックの舞台で、空手が初めて正式種目になったことは僕の心を大きく揺るがせました。
その時から私の選手生活はオリンピックに向けたものに180度変わりました。
それまでは大学で空手をやめようと思っていましたが、正式種目に追加されたこと、その後の国際大会の感触で、オリンピックに出るという事が自分の目標に変わりました。
大学卒業後、オリンピックを目指し世界各国を飛び回る生活が始まりました。
難しい道のり
オリンピック出場を目指し、日本の強豪大学、道場、とにかく色んなところに出向きました。
強くなるために練習に励みました。
そしてインドネシア、トルコ、ウズベキスタン、チリ、様々な国に行き、オリンピックに出場するための勝利ポイントを獲得していく日々でした。
強豪国の選手と戦っていく中で正直、自分の目標と自分の実力のギャップを感じずにはいられませんでした。
またそれと同時に、周囲からの心痛い声も聞こえてきました。
目標高くない?
オリンピックなんて夢だ
何度も挫折しそうになりましたが、現実を変えていくのは自分自身しかいないと思い、練習に練習を重ねました。
応援してくれる人たちにも結果で恩返ししたかったです。
2021年6月、パリで開催されるオリンピック最終予選に向けて準備をしていた時、朝鮮オリンピック委員会は新型コロナウイルスの影響でオリンピック不参加の表明をしました。
その瞬間、僕のオリンピックを目指した道のりは終止符を打ちました。
あまりにもあっけなく終わり、当時は実感がまったくありませんでした。
ただ、決してオリンピックを目指した4年間は無駄ではありませんでした。
行動する大切さややり抜く力がいかに大切か、今の人生に活きてます。
そして、たくさんの人と出会い、人として成長できた期間でもあり、ストロングになれた期間でした。
僕を応援してくれた人たちに感謝しています。
そして空手会に恩返ししていきたいと思います。
次の目標
オリンピックがなくなったことで何度も引退を考えましたが、僕を信じてついて来てくれた人たちに結果で見せるまではやめられないと思い、GKLINEに所属しながら、もう一度国際大会を目指す覚悟を決めました。
そして、選手引退後は、在日朝鮮空手道協会の指導員として後輩たちの夢を後押ししていくつもりです。
最後に
私は当時の気持ちのまま、来年中国で開催されるアジアオリンピックで必ずメダルを取り、朝鮮の国旗を一番高いところに掲げると同時にGKLINEの名前も広めていきたいと思います!!