お久しぶりでございます。
最近illitにハマっている吉津です。ウォンヒが推しです。
恐らくこの記事を読んでくださる方は陸上競技をやっている方が多いのではないかと思いますが、みなさん、長い長い冬季練習が明けてシーズンイン!から、ちょっとひと段落したというタイミングでしょうか?
ご存知の方もいるかと思いますが、既に私も4試合に出場しておりまして、今回はその中でも世界リレーを中心にした大会レポというような、日記のような形の記事をお送りしようというところです。
今シーズンの目標、みんな絶対叶えような!
それでは時をさかのぼって4月7日(日)から、1戦目です!
決戦!岸壁杯&出雲陸上
2年ぶり200m出場!岩壁杯
2024年4月7日(日)、この日私は埼玉県上尾市陸上競技場に居ました。
今シーズンの初戦、令和6年度岩壁杯陸上競技対抗選手権大会(通称:岩壁杯)で2年ぶりとなる200mに出場するためです。
今までの自己ベストは2年前最後に出場したときの21.52。
目標はベストの更新は勿論ですが、夢の20秒台突入!
機械の不具合が頻繫して開始時間がずれ込んでいく中、緊張の時間も長く伸びていく、、
そしてその結果は!
㊗初20秒台!
速報が21.00で止まった時は「うわ!」と思いましたが、デカすぎる0.01秒が変わってくれました。
この冬、まず1つ目のターゲットと考えていた、次戦の出雲陸上に向けて、これ以上ない弾みをつける事ができました。
これで20秒台ランナー!
決戦!出雲陸上
出雲大社を構える島根県にて、勝負の2日間が控えておりました。
2024年4月13日(土)と14日(日)、吉岡隆徳記念第78回出雲陸上競技大会に出場しました。
この大会は1つ目のターゲットレースでした。ここからオリンピックに繋がるぞ!と思いながら飛行機に揺られ移動。遠いね島根。薔薇パンがすき。
まずは1日目、予選です。
緊張で訳わかんなくなりながらも、練習で積み上げてきたものをしっかり表現するだけ!と言い聞かせて挑みました。
予選の結果は、先週の200mに引き続き
全体1位通過!
最高の滑り出しです。なぜ今まで出なかったのか、と思うくらいすんなり出た45秒台。
このままの勢いで明日に向かえるよう、出雲そばを啜りました。
そして、決戦の2日目です。
さすがに1日目の疲労を感じながらも入念に準備をして挑んだ結果は、
記録は45.71!
予選に引き続き、自己ベストを更に更新して優勝!!!
1月からこの2日間に向けて緊張していたので、本当にうれしかったです。
やっと!やっと!!という思いと、ここから!ここから!!という思いとを胸に抱え、しじみラーメンを啜って岐路につきました。
歩めオリンピックリレー代表への道
出雲で自己ベスト優勝ができて相当うれしそうじゃないか、と思っていた皆さん、理由があるんです。
それはリレー代表としてのパリオリンピックの出場条件に関係してきます。
詳細は以下に添付する月間陸上さんのツイートを参照していただきたいのですが、(めっちゃ分かりやすい!)
パリオリンピックにリレー代表として出場するためには
- 世界リレーに代表として派遣される事
- 45.29を切る事
のどちらかを必ず達成していなければなりません。
パリオリンピックの日本の出場権を獲得する意味合いでも、しっかり世界リレーに出場することが全てに繋がるため、その代表選考レースの出雲で良いアピールができてホッとしているのです。
↓↓リレー日本代表 パリ五輪への道↓↓
JAPAN!世界リレー!
出雲陸上から翌々日、待ちわびた発表が日本陸連からありました。
【ナッソー2024世界リレー】日本代表選手が決定:サニブラウン・栁田ら21名がパリ五輪出場権獲得を目指し世界へ挑む!:日本陸上競技連盟公式サイト (jaaf.or.jp)
2024年5月4日、5日にバハマのナッソーにて開催される世界リレーの代表に選出していただきました!
この大会はパリオリンピックの出場権がかかっているため、かなり重要な意味を持つ大会になります。しっかり準備して、出国の日を迎えました。
出国
4月28日、朝7時半に前泊のホテルを出まして、8時に空港に集合、出国手続きを完了したら社長の名前ではないで有名なWi-Fiを借り、10時55分発の飛行機を待ちます。
揺られること9時間半、アメリカ・ダラスに到着。現地時間だと28日朝8時40分でした。得した気分です。
次の飛行機が遅れたことで出発ゲートが変更になるなど、1人だったらと思うと冷汗が出るアクシデントもありつつ、5時間のトランジットを済ませ、ついに!バハマに到着。
移動中にほとんど寝られなかったのもあり、疲労は最高潮。写真を撮るのも忘れてバスに乗り込みホテルへ移動。
4月29日、朝6時過ぎに起きてしまったのでホテル付近の橋まで散歩を。
初めての長距離フライトでしたが、一番苦労したのは時差ボケでした。
夜はすぐ眠くなってしまううえ、寝つきも良くなく、2時間おきに目が覚めてしまうという状況。到着3日目頃からやっと一晩寝られるようになってきました。その時点でレース3日前です。。
入村
5月2日。最初に宿泊したホテルから、選手村への移動がありました。それまで宿泊していたホテルは1泊6万円と言われていましたが、選手村のホテルはなんと1泊10万円!
入村手続きをすると、大会記念品のリュックやホテルの記念ボトル、世界リレーのスポンサーになっていた森永製菓さんからのハイチュウを頂きました。
私は男子4×400mRと男女混合4×400mRどちらも兼ねたチームの一員でした。男子は7名、女子は3名で挑むのは『両リレーでのパリオリンピック出場権獲得』
そのためには、1日目の予選で2着以内に入り決勝へと駒を進めるか、2日目の予選落ちした国を再編成して行われるレぺチャージにて各組2着以内に入るか、のどちらかが条件でした。
日本としては、まず1日目で本命の男子リレーを決勝に進め、2日目で混合リレーの権利をもぎ取る作戦を立てました。
そこで1つ大事になってくるルールが、レぺチャージでは1日目に走った走者から1人しか変えることができない、というルールです。
つまり、最も速い2人を1日目に男子リレーに出場させ、2日目に混合リレーに出場させるといった事ができないのです。
そこで、男子リレーは両佐藤選手を中心に、混合は私、吉津を中心にして適宜入れ替えを行い、権利を目指す旨を伝えられました。
いざ、世界リレー
きたる5月4日、世界リレー1日目です。
競技順としては私の混合リレーが一番最初。アップ自体はしっかりできましたが、ここでアクシデントに見舞われます。
出国前に「しっかり準備を進めた」のですが、練習に熱が入りすぎてしまい、中殿筋のハリから腰を痛めてしまっていたのです。勿論現地入りしてからも、トレーナーさんに非常にご尽力いただき、かなり痛みは引いてきていたのですが、肝心のラスト100mで痛みが出てしまい思うように走れませんでした。。
チームの結果は3.20.92の7着。
途中で転倒もあったのですが、それも自分が1番でバトンを繋いでいればなかったかもしれない事故。大一番に合わせてこれなかった無力感と共にこの場で戦っている日本の選手がどれだけ凄いかを痛感し、相当落ち込みました。
ただ、本命だった男子リレーの方は快勝!ゴールこそ2着でしたが、1着のアメリカが失格になり1位通過。まずは一安心です。
2日目。5月5日。
お昼に集合し、ミーティングが開かれました。昨日時点で腰が痛い点も含め、想像はしていましたが私が外される事、キャプテン拳太郎さんが2本走りたい事を伝えられました。
この日私ができるのは全力でサポートするのみ。また、もし誰かにアクシデントがあっても大丈夫なように備え準備することのみです。
まず、混合リレー。1走の拳太郎さんが2着で持ってくるいい流れ(これを僕がしたかった!)ができつつも、3.16.02で4着。本当に悔しかったです。
そして次は本命男子リレー。今の実力でどこまで勝負ができるか、と挑んだレースが…
メダルまであと0.04秒の4位。
走れはしなかったものの、このチームの一員になれて嬉しかったし、次こそはちゃんと走ってやる!という思いが溢れていました。
帰国
そんな興奮も冷めやまぬまま、翌日の5月6日11時30分には選手村を出て帰国の途についていました。
帰りはマイアミ、ロサンゼルス経由のトランジットが2回のルート。バハマ出国の際に出国ゲートが混雑し、数名が飛行機に乗り遅れるアクシデントもありつつも私は何とか乗れました。
家に着いたのは5月8日朝7時過ぎ。合計31時間かけて帰ってきました。帰りは日が進むので損した気分です。私の人生に2024年5月7日は存在しない。
思うように走れなかったのに、あんなに楽しい1周は無かった!
NEXT…?
帰国して1週間とちょっと、だいぶ腰の状態も良くなり、人生で初めて出場する大会を迎えます。
セイコーゴールデングランプリ陸上2024東京
日本で開催される一番大きな大会でしたが、この大会の結果は、是非私のSNSにて見てください!
次は、最後の決戦、日本選手権です。
ここからどこまで積み上げられるか。
オリンピックに向けて、最後の追い込みを始めています。。